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よく「ムーミン谷のような」などと形容されますが、私には「バーバパパのお家のような」 という形容がいつも頭に浮かんできます。バーバパパのお家のように小さい丸がいくつもくっついたお家というわけではないので、おそらくバーバパパ好きな私だけに訪れる勝手な連想です(笑)。トゥルッリ家屋の基本構造は一つの屋根の下に一つの部屋なんだそうで、よって屋根の数によってそのお家のLDKがわかるそうです。そういう造りが何となくバーバパパのお家っぽいでしょ?(強引?) 町の観光名所などについてはガイドブックをご参照いただき(!?)、今回はアルベロベッロの歴史について軽く薀蓄を述べたいと思います。 トゥルッリの起源 トゥルッリの歴史は古くは紀元前まで遡るそうです。まあ、平たく言えば石を積み重ねただけで造られた家屋なので、その原型まで遡ればそれぐらいになってしまうのかもしれません。アルベロべッロ周辺の農村地帯にも「これのことかなあ・・?」と思われる、何となく石を積んでできちゃったという感の小屋が見受けられます。いわば、石で作ったカマクラのような感じです。 アルベロベッロの歴史 厳しい搾取時代 現在のようなトゥルッリの建築はおよそ1400年ごろから始まりました。この地域一帯は、地盤が豊富な石灰岩層で占められているので、畑を開墾しようとちょっと地面を掘り返せば、いくらでも石灰岩が出てきたのです。その石灰岩が、トゥルッリの建築材料となりました。貧しい農民の工夫が生み出した建物だったわけです。 1600年代当時の南イタリア一帯(ナポリ王国を中心とした)は、領土争奪戦に勝利したスペイン王の領土でした。王は各地域の有力な領主にその土地の管理を任せていましたが、それぞれの土地に「新しい町」を形成することを禁じていました。それでも領主にしてみれば、土地の開墾を奨励することによって、そこに定着した農民たちからの税収入があったほうがいいに決まってるので、ある一定の条件をつけて農民たちへ住居の建築を認めていました。 王の視察団が来たときにすぐにその住居を取り壊し、町ごと姿を消せるよう建築の際にモルタルの使用を禁じたのです。モルタル=セメントのようなもので、石と石を積んでいく際に利用される接着剤の役割を果たします。王の視察団来訪の知らせが入ると、たちまち農民たちは各々の住居の取り壊しを命じられ、その土地から遠のけられました。そして視察団が去ると再びその土地に戻り家を建築したのです。こうして、「取り壊し」と「再生」を繰り返すうちに、町はどんどん膨れ上がっていきました。 「新しい町をつくること」を王に禁じられている領主は、王に隠れてこっそり形成している町からの税収入を王に還元する必要はありません。この町からの税収入はいわば「ちょろまかし」。もっぱらその領主の私腹を肥やす収入でした。人の欲とは尽きないもの。領主は、農民たちに建物の所有許可を認めないなど、その権利に厳しく制限を与えていた上に、更に高額な税を取り立て、農民たちの生活を困窮させていきました。 アルベロベッロの歴史 搾取からの解放 そして、1797年。町の代表の農民7人が、視察に訪れた国王に自分たちの生活の悲惨さを直訴しました。その惨状に同情し、また農民たちの作ったトゥルッリの町並みに感銘を受けた国王は、その土地を王の直轄領とすることによって農民たちを領主から解放したのでした。1797年5月27日は「美しい木(アルベロ=木、ベッロ=美しい)」と名づけられたこの町にやっと訪れた、記念すべき独立の日なのです。 つづく。。。。
by cricri021219
| 2006-05-11 02:05
| アルベロベッロ
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